雑文

他宅監視員の雑記帳

生主とは何か――偶然を含む相互作用の回路

生主とは何か――偶然を含む相互作用の回路

はじめに

ひろゆき氏がニワンゴ取締役を降りたようだ。

ひろゆき氏が取締役退任–ニコ動、ドワンゴに対する数々の苦言残し

ニコニコ生放送」や「ニコニコ超会議」などに苦言を呈していたが、それも一因なのだろうか。

ユーザーが欲しいものを提供するはずが、「こういうユーザーが欲しい」に変わっちゃう話。


直接の原因が何なのかはよくわからないけど、 まあ多分「多様性を軽視し始めたニコニコの運営方針を見限った」といったところだろう。

今から2年近く前の話だが、ひろゆきが大会議についての問題意識を持っていたことは、よく知られていたことだしね。

生主討論会2 で気になったところの発言まとめ

そこで今回は、ニコニコの公式生放送(以下「公式生」と省略)を始めとした運営の方針が、 なぜイケてないのかについて、ニコ生(=ユーザー生放送)の視点から説明していきたい1

生主とは何なのか

とりあえず辞書的には、ニコ生をしている人のことを「生主」と呼んでいる。 これは、動画をアップロードした人を「うp主」と呼ぶのと同じ考え方だ。 ただしこの呼び方は、ほぼニコニコ内部で使用されている用語で、 他の配信サービス(USTREAM、Justin、Stickamなど)まで視野を広げると 「配信者」といった表現が使われているようだ。

これらのニコ生以外の配信サービスは「外部(配信)」と呼ばれており、 少なくとも、(ユーザー生が始まった2008年12月12日から現在までの)約4年間余り、 個人配信の中心地は、ニコ生であり続けていることは間違いないだろう。 (ただし、Peercastはニコ生の原点のような立ち位置で、「外部」とはあまり呼ばれない。 また、PCを所有していないユーザー層は TwitCasting が中心地として機能している。)

まあ、このへんはいいだろう。

おそらくみなさんの興味は、殊更僕が主張しようとしている、 「生主」とは実のところ何なのか? ということだと思う。

「目立ちたがりの素人」「勘違いニート」「メンヘラの巣窟」…… まあそんな印象を持ってる人は多いと思うが、 目立つ部分だけで全体の印象を決めるのは良くないよ、と指摘しつつ、 今回は、「面白さの仕組み」について説明するのが目的なので、 そういうのは無視して進めていきたい。

公式生では、ステージに耐えられるような芸を持つ人が、基本的にはもてはやされる。 たしかに運営者にとって扱いやすく、安定感も有る人材は、 限られた場所と時間の中で、ある程度の質の放送を成立させるためには必要な資質だろう。

しかしそうした視点は、ニコ生の生態系を考える上では些細な話だ。 生主というのはなにか「芸」があってこそだと勘違いしがちだ。 特に、ユーザーが作った「番組」として捉えている場合、 そう考えてしまうのも無理はないと思う。 しかし実のところ、生主個人の持つ「芸」に、たいした意味は無い。 強いて言えば、「キャラ付け」程度の意味は持っているが、 その「芸」自体が、他の芸能と比較できるような大層なものでは全くない。

では、ニコ生を考える上で着目すべき点はどこだろうか。 それは、生主やリスナー(=配信を見ている人)による、強烈な「相互作用」だ。 その作用は、配信画面上における「生主・リスナー間」、そして、 Skypeやリアルを媒介とした、「生主間」において起きるダイナミックな作用だ。 そこでは、1対多というそもそも飽和したコミュニケーションの仕組み、 そして見かけ上1対1にも関わらず、多数のリスナーによって歪曲される力関係が、 不確実性や偶然性を引き込み、配信自体をダイナミックに変化させる。 実は、それを引き起こすアーキテクチャ自体が、ニコ生が強烈なコンテツとなっている理由であり、 その公式生では難しいメリットを、最大限引き出しているのがユーザー生なのだ。

と、結論めいたことを書いた上で、これから解きほぐしていきたい。

中途半端な「表の顔」

元々、ニコ生がユーザーに開放された時に運営側がイメージしていたのは、 動画の投稿者らが生放送をする光景だったのだと思う。 つまり、「歌ってみた」「演奏してみた」のような、 「見れる芸」を持つ動画の投稿者が、生放送を牽引すること期待したのだろう。

またその一方で、公式生では、地上波では見られないような面白い番組が多くある。 特にニッチなジャンルの番組は、「低コストな生放送環境」があってこそのものだろう。

これらは、ニコニコ生放送の「表の顔」だとは思うが、やはり捉え方としては、どこか古臭い印象だ。 「低コストな生放送環境」にTV番組的なものも組み入れちゃいましょう、とか、 現場を知らない偉い人が、会議室で考えてそうな感じだよなぁ、とか思ってしまう。

ニコ生を特徴付ける、2つのコミュニケーション回路

それでは次に、公式生とは全く違う側面である、 ユーザー生の生態系について、整理していこう。

ユーザー生では、ピーク時で同時に5500余りの配信が行われている。 これを書いている今も、配信開始のモニターを眺めながら一呼吸するうちに、3~4個の配信が始まっている。 これら無数の配信の中では、どうでもいいコメントから、Skypeを使った喧嘩まで、 様々なコミュニケーションが大量に交わされている。 ここではそれらの回路を、その主体に着目し、ざっくりと2つに分類してみようと思う。

まずは「配信画面」を媒介とした、 生主とリスナーとのコミュニケーション回路 である。 生主のみせる映像と、リスナーによるコメントという相互作用は、ニコ生での基本アーキテクチャだ。 このときのリスナーの動機は、「コメントを読まれたい」という欲求に始まり、 しばしば「配信の流れを面白くしたい」という領域にまで至る。 そうしたリスナーのアクションに対し、生主は、画面上で返答する形でコミュニケーションを取る。 そして、場合によっては行動によって示す(これが行き過ぎると生主に「ラジコン」属性が付く)。 この亜種としては、リスナーから「Skype凸待ち(Skype通話を受け付けること)」という回路もあるが、 とりあえず今回は、生主とリスナーの間のコミュニケーションということで、ここに分類しておこう。

もう一つのコミュニケーション回路が「Skype凸」や「リア凸」を媒介とした、 「生主同士」のコミュニケーション である。 これらは通常、「絡み」とか「コラボ」などと呼ばれ、 討論会などの手の込んだ企画をやることもあれば、 ただカラオケに行って配信するだけのこともある。 (この時リスナー側は、マルチアングルのように、各生主の配信画面を複数開くことで、 より深くコミットできるようになる)

もし3つめの回路があるとすれば、掲示板によるリスナー間のコミュニケーションもあるが、 どちらかというとコミュニティの周辺を補強する立ち位置のメディアであって、 回路としては細いのではないかと考え、今回は外すことにした。

生主のキャラ付け

こうした複雑なコミュニケーションは、日常的に行われているが、 それらを可能とする基礎となっているのが、「キャラ設定」である。 「キャラ」とは、コミュニケーションの場において、 どんな振る舞いをするかの類型のことをいう。 これが立っていると、コミュニケーションがスムーズになる。 そして、特に生主の場合、「キャラ」をあくまでニコ生をする上での「設定」と捉え、 リアルにおける「キャラ立ち」よりも恣意的なものとして扱っているようだ。

また、生主はキャラ付けの一環として「芸」をすることがある。 何かの出来事に対し「どんな反応をするか」といった、 リアクションの特徴を意味する。 これは、日々の雑談配信やゲーム配信によって、 リスナーによって見出されたりする過程で、より強固なイメージを獲得するに至る。

ここで重要なのが、それはステージ上でやる「芸」では決して無いし、 宴会「芸」ですらならないということだ。 要するに、「歌ってみた」「踊ってみた」などの、 わかりやすい芸を持っている必要は、全くないということだ。

そしてもう一つ、生主間の「派閥」である。 これは政治における派閥とほぼ同じ意味で、 似た価値観の者がセグメント化している。 ただし、現実の利害関係に必ずしも即したものではなく、 「配信の方針によるグループ」 程度の意味で考えたほうが良いかもしれない。 (「雑談」「声真似」「ゲーム実況」といった配信のジャンルと、 若干かぶってくることもあるが、ジャンルを行き来することも多いため、 この場合は余り適切ではない) この「派閥」の存在が、リスナーに帰属意識を持たせ、 派閥抗争ゲーム的な展開が見られるようになってくる。

以上、こうした基礎的土台があることで、コミュニケーションが加速していくわけだ。 個人の配信で、リスナーとの間に「キャラ」が認知されれば、 その後の他の生主との「コラボ」がしやすくなる。 そして、互いを潰さないような工夫しつつ、ある程度のアドリブも可能となってくる。 こうした「キャラ」や「派閥」に裏打ちされた「コラボ」は、 既存リスナーを楽しませ、なおかつ新たなリスナーを拡大する手段でもあり、 実際に多くのリスナーの衆目を集めているわけだ(そう、ただのカラオケでも!)。

生主のスキルは、どんな場面で判別できるのか

ニコ生の面白さがコミュニケーションであるならば、 いわゆる「コミュ力」が力量の指針となるのだろうか。

いや、それは誤りである。 生主はどちらかと言うと、ネットの住人が多く、コミュ障を自称する者もよく見かける。 しかしながら、彼ら彼女らはニコ生においては人気を集める。 配信を通じて、キャラ付けができていれば、 「コミュ力」の低さはそこまでのハンデとはならない。

では、生主にとって重要なスキルとは何だろうか。 それは前述した2つのコミュニケーション回路に着目すれば良い。

まずは、コメントに関するスキルである。

面白い配信にするためには、流れるコメントをいかに拾っていくかが重要だ。 もちろん少ないうちは丁寧に拾っていけば良いのだが、 ある程度のコメント量になってきた場合、 配信が面白くなりそうなものを見逃さないことが重要になる。

一方、コメントをするリスナー側にとっては、 それによって配信そのものに影響を与えることで、 ある種の達成感を得ようとしている。 もちろん、生主のクセや状況に合わせてコメントをすること自体が、 リスナー側に求められるスキルでもあるが、 生主側でも、期待されるコメントを引き出すような、 それとない誘導なども必要となってくる。 そうでないとリスナーの不全感が募り、配信が変な方向へ行ってしまう。 例えば外配信などでは、ただひたすら無茶な要求を出し続けるだけになってしまい、 警察沙汰になって配信が止まるか、裸になって放送権限を停止されるか、 あるいは結局、ただ反感を買って終わるだけの配信になってしまったりするだろう。

いいリスナーをどれだけ集められるのかが、 配信自体の面白さを大きく左右するわけで、 この、 コメントを引き出し、拾い、配信に反映させていくスキル は最重要である。

もう一つのスキルが、生主間のコミュニケーションである。

生主は自分自身のスタイルを確立し、「キャラ立ち」していることが必要だ。 そうすることで、リアルにおける「コミュ力」不足は十分補える。 そして、人気のある生主というは、 とにかく 他の生主の「キャラ」についてもよく調べており、大抵が熱心な勉強家 である。

さらに、他の生主との絡みをうまく配信に載せていくスキルも必要だ。 明らかにPCに疎そうな女性生主が、 「XSplit」だとか「ステミキ」だとか言いながら、 映像・音声デバイスの論理ルーティングをこなしてしまうのだから、 すごい時代になったなぁ、とか思うわけだ。 映像の見せ方、音量調整などを含めて一人で全てをこなす 姿は、 ぜひとも公式生やチャンネル生にも見習っていただきたい所存である。

各セグメントによる、共通前提の違い

ところで、公式生や超パーティーなどの視点からみて、 こうした生主が扱いづらいのはなぜだろうか。 よく「素人だから」とか「社会性がないから」とか言われがちだが、 それは公式生(あるいは大人)の理屈である。

生主は、必ずしも基本的な社会性をベースにして、配信を作り上げているわけではない。 そうした「表の論理」は通用せず、あくまで「キャラ」が関係のベースとなっている。

普段は意識しないことだが、他者の社会性を信頼しつつ、 コトを進めることができる空間は、思ったより狭い。

ユーザー生の場合、様々な人種を包摂している。 ちゃんと調べたわけではないが、感覚的には中間層の存在感が薄い。 学生、無職、メンヘラといった伝統的なネットユーザー層から、 普通接することのない全身刺青、前科者、風俗嬢、AV監督、 そしてスポンサーとなっている疑いのある、実業家、社長業、資産家など、 ここまでの幅をもつ世界は中々無い。 (もちろん勤め人も多いよ、人口比からすると薄いってだけで)

まあ何にしても、そうした 共通前提の少ない世界を渡り歩くために必要なのは、 あくまで配信上の「キャラ」なのだ 。 それを意識しないでいると「扱いづらい」という評価をせざるをえないのは当然なのだが、 「キャラ」を踏まえた交流が想像できる側からすると、 異なる文化圏の人間と交流する姿勢の無さ、ひどくね? としか映らないわけである。

ちなみに、多様な人間を擁する芸能界の共通前提が、 興行にまつわる「暴力」であることは言わずもがなである。怖い。

なぜユーザー生の生態系が、コンテンツとして強力なのか

これまで述べてきたように、 ニコ生は人と人との間で起きる、幾つもの相互作用によって成り立っている。 そして全ての人間に、その回路は開かれている。 生主ならコラボすれば良いし、リスナーならコメントすれば良い。

そしてだ。配信の面白さを決定付けているのは、 これらの回路に「運や偶然」の要素が含まれるということだ。

コツを掴むと、繰り返し相互作用を体験できるようになってくるが、 必ずしも目論見通りにコトが進むわけではない。 そして逆に言えば、単なる運によって、想像以上の楽しさに遭遇することもある。

聞くところによると、麻雀が面白いのは、運と実力の割合が絶妙だからだという。 また、大流行なソシャゲ、パズドラのヒット要因も、 かつての「作業ゲー&運ゲー」の世界を「実力ゲー&運ゲー」へと転換させたところにある。 (厳密には実力ゲーに感じられるってだけだけど……)

要するに、 運と実力の入り混じった世界こそ、現在のコンテンツの王道 と言え、 ニコ生は奇しくもそれを内包しているサービス だったのだ。 つまり、ニコ生というのは、 生身で遊ぶコミュニケーションのゲーム ってわけ。

こう考えると、ニコ生がかつて黒字化を牽引していたことは、 今考えると何ら不思議なことではないよね。

原点はどこだったのだろうか

間違っていたら申し訳ない。僕はAKBについては良く知らないのだが、 どうやらあれは、「普通の女の子」が理不尽さを前に頑張っているのを応援するものらしい。 でも「握手券」なんて、 コミュニケーションに金を払うこと そのものじゃないか。 ところで「認知」に至る 「努力と偶然」の割合 ってどんな感じ? ―― 一流でも何でもないものを囲って、コミュニケーションゲームをすることが、 コンテンツの新たな地平なんだと思うんだよね。 中身じゃなくて、アーキテクチャがその本質なわけで。

しかしニコニコの運営諸氏は、 コメント機能やアンケ機能のついた、安価な配信環境がニコ生だ! とか本気で考えてるのだろうか。 「ぜひ良いソフトを配信させてください、低コストですよ」とか?

いやいや、コメントという仕組みが生み出すコミュニケーション自体が、 人を引き付けるコンテンツの核なのであって、 画面に映るものは突っ込みどころ(キャラ立ち)があれば、 それだけで万人を集めるようなモノである必要はないって、 ニコ動の初期にもさんざん言われていた原点だったと思うんだけど。

熱量は取り戻せるのだろうか

まあしかし、考えてみると、僕自身がこんな不平不満を言いながらも、 未だにニコ生をチェックし続けているのは、 「もしかしたらまたあの面白かった体験が得られるかもしれない」といった期待が捨てられないからで、 一種の中毒症状なのだろうとも思う。たぶんソシャゲにハマるのと近いのかな。

実際、ニコ生は時間が経つにつれ、配信枠が増え、気軽に配信ができるようにはなったが、 配信の内容自体が薄くなってしまい、楽しむためのハードルは、むしろ上昇しているように思う。 人間がつまらなくなっているかというと、そうでもなさそうだ。 規約上、他配信者への妨害行為に厳しくなったため、生主同士のコミュニケーション密度が薄まり、 摩擦による熱量が下がってしまったような感じである。

伊予柑2肝入りの「ナマケット(決まった枠で配信の面白さを競う企画)3」は、 瞬発的な熱量は出せるのだけど、枠の日時が限定されている以上、 やっぱり場が芸を期待してしまうところが、ちょっと残念。

もしかしたら、百花繚乱4氏の言うように、一度枠を減らしてみるというのもアリなのかもしれないなー。 枠が取りにくい程度で去るユーザーは、今ならTwitCastingとかに行ったほうが幸せになれそうだし……。

うーん。

――以上、第5回でした。

今回は色々手こずったので、1週間以上も開けてしまった。 週1通以上は書きたいんだけどなぁ。

もっとライトな感じにしたいのに、分量は増える一方だ……。

雑記:ブロマガ仕様についての要望

● aタグからname要素を削除しないでください。

長文のときTOC入れたいし、脚注アンカーなども機能しないじゃないか。

● メルマガなら、メールの整形をまともにしてください。

箇条書きの整形くらいしてください。 pタグ使ったら、行頭に全角スペース入れつつ、1行空行が入るとか、 なんか妥当な感じに整形してください。

● 普通のアクセス解析くらい埋め込ませてください

ニコニコの持つ細かいセグメント情報をよこせとは言いませんので。

と、そんな感じ。

僕は移動中の暇つぶしとして、メールで読まれることを期待しているんだよね……。 じゃなきゃこんな長文、誰も読まないって。

EPUBは知らんので今度試そう。

ではまた。

脚注:

1 ニコ生周辺に関わる用語の使い分けについては、 「『ニコ生/ユー生/公式放送』をめぐる会話」 に詳しい。 僕はユーザー生放送の視点で書いているので、 『ニコ生=ユーザー生放送』とした。

2 2009年あたりから「おい、ゆとり!」シリーズ配信でメディアに注目されるが、 のちに「NHKBizスポ』」のテロップでドワンゴ社員であったことが発覚したステマ先輩。 コミュニケーションが価値であることを早くから指摘していたにも関わらず、 なぜか配信の質に走ってしまった残念な人。現在はナマケットディレクター。

3 とは言っても、「ナマケット」は生主らにアクセントを与えているし、当たり企画だと思う。 あれだけ見てもニコ生の良さには気づきにくいが、入り口にはなっていると思うので。 ただ問題は超会議における「リアルナマケット」だ。生主ってのはその人自体じゃなくて、 配信画面を通してこそ面白さを出せる存在なんだけどなぁ。

4 ニコ生初期から活躍する生主。日々血反吐を吐くほど頑張ってる人。 運営側で活躍する中では、もっともニコ生の良さと理解しており、 インタビュー記事などは一読に値するものが多い。 よく過疎乱先輩などと揶揄されるが、 動画から入った人はニコ生アラートとか入れてないってだけで、 コミュ人数の割には過疎に見えるだけで、普通によく考えられた配信。